室町時代後期の武将で、幼少期に父と死別し周防の大内氏のもとで育つ。元服時、大内義興から偏諱を受けて興常と改名。文明18年(1486年)、伯父の胤朝が暗殺されると、少弐政資が介入し、九州千葉氏は分裂。興常は大内氏の支援を受けて祇園城を拠点とし、祇園千葉氏(東千葉氏)の初代となる。明応6年(1497年)、大内義興が少弐政資を討ち、興常は大内氏の肥前守護代に任命される。天文元年(1532年)または天文9年(1540年)に没。息子の喜胤が家督を継ぐが、天文11年(1542年)に自殺し、跡は千葉胤頼が継いだ。







