戦国時代の僧侶、証恵は伊勢国長島の願証寺3世であり、父の死後、祖父の後見を受けて寺を継承した。天文5年(1536年)、本願寺10世証如より伊勢・尾張・美濃の寺院・門徒支配の権限を保証され、翌年には証如の諱から一字を拝領し「教幸」を名乗る。永禄3年(1560年)、本願寺11世顕如が門跡に認められると、門跡を補佐する院家に選ばれた。永禄7年(1564年)に49歳で死去し、願証寺の住持は子の証意が継いだ。証恵が長島一向一揆を指揮したとの説があるが、既に故人であり誤りである。実際に一揆を煽ったのは子の証意である。



