江戸時代中期の加賀藩で活躍した人物。加賀八家の筆頭である前田土佐守家の5代当主で、通称は主税。加賀騒動の際、守旧派の首領として藩政改革を進める大槻伝蔵の排斥を図った。1743年(寛保3年)から次期藩主の前田宗辰に弾劾文を提出し続けるも、藩主前田吉徳の怒りを買い罷免される。しかし、1745年(延享2年)に吉徳が亡くなると逆襲に転じ、大槻伝蔵を断罪、蟄居に追い込んだ。寛延元年(1748年)には伝蔵を切腹させ、一派を粛清した。教養も高く、多数の著作を残し、文人や学者との交流もあった。墓所は野田山墓地にある。


