江戸時代前期から中期にかけての旗本として活動。通称は修理。慶安3年(1650年)に生まれ、明暦2年(1656年)に父の遺領を継承、小普請となる。その後、弟に300石を分与し所領を700石とする。寛文7年(1667年)に書院番に加わり、延宝8年(1680年)には小姓組の組頭に昇進。天和2年(1682年)に500石を加増され、所領は1200石となる。元禄3年(1690年)には新番頭、翌年には桐間の番頭となる。元禄5年(1692年)に従五位下筑後守に任じられ、宝永元年(1704年)に55歳で死去。跡は子が継いだ。




