養徳院は戦国時代から江戸時代初期にかけての女性で、尼僧としても知られる。池田政秀の娘として生まれ、池田恒利の妻となり、恒興を出産。その後、織田信秀の側室となり、織田信長の乳母を務めた。信長が幼少期に乳首を噛む癖があったが、彼女が乳母になってからはその癖が直ったという。恒利の死後、出家して養徳院と名乗り、信秀の側室として娘を出産。信長や豊臣秀吉からも厚遇され、晩年は孫の輝政の居城である播磨姫路城で過ごし、慶長13年(1608年)に94歳で没した。紀州高野山に葬られ、戒名は養徳院殿盛嶽桂昌大姉。位牌所は備前曹源寺にある。











