江戸時代後期の大名で、讃岐高松藩の第11代藩主。幕末の動乱期、親藩として徳川慶喜と縁戚関係にあり、佐幕派として活動。禁門の変では御所の警護を務め、鳥羽・伏見の戦いでは旧幕府軍に加わったが、敗北後は官位を剥奪される。藩論を調整し、官軍への恭順を決定。高松城を無血開城し、その後、藩政から離れる。明治2年(1869年)の版籍奉還で高松藩知事に任じられるが、廃藩置県により知藩事職を免官。華族令で伯爵となり、明治36年(1903年)に70歳で死去。墓所は谷中霊園から高松の法然寺に移築。
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