延宝4年(1676年)、岡山藩家老の嫡男として生まれる。天和3年(1683年)に藩主池田綱政に御目見し、元禄10年(1697年)に父の死去に伴い家督を継ぎ、岡山藩仕置家老として2万2000石を領する。元禄11年(1698年)、江戸の勅額火事で岡山藩の屋敷が焼失し、大坂の鴻池善右衛門から銅を借用し復興を支援する。元禄12年(1699年)には幕府から福山領の検地を命じられ、翌年その功績を称されて銀と時服を賜る。元禄14年(1701年)、赤穂事件後の情報を江戸に報告し、正徳元年(1711年)には朝鮮通信使の接待役を務めた。享保8年(1723年)に没し、家督は嫡男に引き継がれた。


