池田綱政は、江戸時代前期の備前岡山藩の藩主で、寛文12年(1672年)に家督を継いだ。父の光政の治世で安定した藩政を引き継いだが、財政難に直面。津田永忠らを登用し、新田開発や治水工事を進め、財政再建を達成した。後楽園の造営や曹源寺の創建など、文化事業にも積極的だった。能楽にも精通し、自ら舞を披露することもあった。正徳4年(1714年)に77歳で死去し、その後は四男の継政が跡を継いだ。綱政は多才な文化人であり、和歌や書にも優れた。鳥取藩主の池田綱清との官位昇進競争も展開し、岡山藩の宗家としての地位を主張した。
主な祖先
池田綱政の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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