武将で大名でもある池田光政は、播磨姫路藩第3代藩主を務めた後、因幡鳥取藩主、そして備前岡山藩主となる。元和3年(1617年)には幼少を理由に因幡鳥取に減転封されるが、藩内情勢の難しさに対処し、鳥取城の増築や城下町の拡張に尽力する。寛永9年(1632年)に備前岡山へ移封され、岡山藩を治める。光政は全国初の藩校「花畠教場」を開校し、教育の充実と質素倹約を旨とする「備前風」と呼ばれる政治姿勢を確立した。陽明学を藩学に採用し、神儒一致思想を推進。治水事業や産業振興を行い、江戸時代初期の名君として称賛される。天和2年(1682年)、74歳で没する。












