江戸時代前期の高家旗本である。父が改易されたため、伊勢津藩主藤堂高次のもとに預けられ、扶助料3000俵を受ける。赦免後は母方の仙台藩伊達家に世話になり、常陸国竜崎で暮らす。元禄3年(1690年)には幕府の旗本となり、2千俵の蔵米を与えられる。元禄8年(1695年)に高家職に就き、侍従に任じられる。元禄14年(1701年)の赤穂事件では浅野長矩の刀を奪ったと主張するが、恩賞は得られなかった。宝永2年(1705年)に辞職し、養子に家督を譲る。宝永5年(1708年)に66歳で死去。正妻はおらず、2男1女がいたが、実男子2人には先立たれたため、実弟を養子に迎える。











