督姫は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。徳川家康の次女として知られる。天正11年(1583年)、北条氏直の正室として嫁ぎ、2女を生む。天正18年(1590年)、小田原征伐で北条氏が滅亡すると、夫氏直の助命を家康が嘆願し、氏直は高野山に流された。後に氏直が死去したため、督姫は父のもとへ戻る。文禄3年(1594年)、池田輝政に再嫁し、5男2女をもうける。輝政との夫婦仲は良好で、彼の死後も家康の配慮を受けた。慶長20年(1615年)、疱瘡により二条城で死去。法名は良正院殿隆譽智光慶安大禅定尼で、墓所は京都市の知恩院にある。没後、池田家の内紛などが伝説として語られるが、公式には否定されている。














