江戸時代中期の旗本、大名であり、初めは旗本寄合席の立花弾正家2代目を務め、後に筑後国柳河藩の第5代藩主となる。元禄11年(1698年)、筑後三池郡で生まれ、正徳3年(1713年)に将軍徳川家継にお目見えする。享保5年(1720年)に養父の死去により家督を相続し、享保6年(1721年)に柳川藩主家の家督を継承する。藩主として柳河城の修築に尽力し、享保の大飢饉の際には幕府からの支援を求め、一万両を貸与される。元文2年(1737年)には柳川城二の丸御殿を移転し、現在の立花氏庭園を整備した。延享元年(1744年)に江戸で死去し、法号は興源院殿慈雲紹蔭大居士。下谷広徳寺に葬られる。享年47。





















