戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将。豊後大友氏の家臣で、吉弘鑑理の次男として天文17年(1548年)に生まれる。初陣は永禄4年(1561年)の第四次門司城の戦い。永禄10年(1567年)、大友氏の家臣高橋鑑種の謀反に際し、父や兄と共に出陣し武功を挙げる。永禄12年(1569年)、大友義鎮(宗麟)の命で高橋氏の名跡を継ぎ、筑前国を支配。天正6年(1578年)の耳川の戦いでは大友氏に従うが敗北。以降、北九州での軍事活動を続ける。天正14年(1586年)、島津氏の侵攻に対し岩屋城で迎撃し、激戦の末に玉砕した。享年39。墓所は福岡県太宰府市の西正寺などにある。





















