戦国時代の武将・大友氏19代当主として、義長は大友家の内紛を収め、明応6年(1497年)に当主として擁立された。北九州では大内義興との対立が続く中、義長は細川政元と通じて勢力を拡大し、明応10年/文亀元年(1501年)には将軍・足利義高から家督を承認され、豊後・筑後・豊前守護に任じられた。永正4年(1507年)の混乱を機に大内氏と和睦、以降も肥後や筑後での戦いを続け、永正12年(1515年)に子・親安に家督を譲ったが、実権を握り続けた。永正15年(1518年)に死去し、『義長条々』を定めて大友氏の安定を図ったとされる。





















