寛永3年(1626年)、仙台城で生まれる。寛永12年(1635年)、10歳で丹後宮津藩主京極高広の嫡子京極高国と婚約し、同年に婚礼が行われる。夫の高国とは4男2女をもうけ、夫婦仲も良好だった。寛永20年(1643年)には夫が従四位に昇進し、嫡男高規を産む。承応3年(1654年)、高国が宮津藩主となるが、翌明暦元年(1655年)に30歳で病没。法名は泰念日普本理院。死後、夫と共に江戸谷中の感応寺に改葬される。京極家はその後、領地没収となり改易され、高国は蟄居の身となる。千菊姫に仕えていた斉藤勝則は、後に伊達家に戻り再仕官を果たす。











