幕末の大名である池田茂政は、備前岡山藩9代藩主として知られる。嘉永元年(1849年)に松平忠国の養子となり、後に岡山藩主池田慶政の婿養子として池田家を継いだ。藩主就任後は、尊王攘夷を主張し藩論を指導した。長州藩に友好的な姿勢を示し、幕府から疑念を持たれることもあったが、禁門の変後には態度を変え、第一次長州征討では名目的な出馬にとどめた。大政奉還後、徳川慶喜追討の勅命を受けた際には病を理由に隠退し、家督を養子に譲った。維新後は能楽の復興に尽力し、明治32年(1899年)に61歳で死去した。墓所は岡山県備前市にある。
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池田茂政の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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