江戸時代初期の武士である。慶長12年(1607年)に姫路で生まれ、寛永3年(1626年)に外祖父である蜂須賀家政に招かれ、阿波徳島藩で家老を務めた。寛永5年(1628年)には知行5000石を与えられる。島原の乱では藩船の運用について進言し、その功績が徳川家光の耳に入り賞賛された。乱後の寛永15年(1638年)、さらに5000石加増された。万治元年(1658年)には家督を譲り、京に隠棲した。延宝2年(1674年)に京都で死去し、享年68。法号は浄厳院殿不白玄雪大居士で、南禅寺塔頭慈氏院に葬られた。興龍を養子とし、その子孫が蜂須賀山城家を継いだ。


