安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。幼少時に父と祖父が小牧・長久手の戦いで戦死し、叔父の池田輝政が家督を継いだ。その後、天正17年(1589年)に5千石、天正19年(1591年)にはさらに5千石を加増され、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに参加した。播磨国に移ってからは2万2千石を与えられ、利神城を改修。後に備前国児島郡の下津井城に移り、3万2千石を領した。名を出羽と改めたが、元和4年(1618年)、神戸平兵衛によって刺殺された。享年42。法号は海禅寺殿霊岳永祥大居士。家督は嫡男の由成が継いだ。


