系譜で辿る日本史

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宗助国そうすけくに

宗助国

宗氏2代当主

氏族称・桓武平氏知盛流
生没1207年 - 1274年
位階
官職
幕府職

鎌倉時代中期の武将である宗助国は、対馬国の地頭代を務めた。文永の役が始まると、蒙古軍の対馬侵攻に対して少数の兵で立ち向かい、討ち死にした。文永11年(1274年)10月、蒙古の大軍が対馬に襲来すると、助国は80余騎を率いて佐須浦へ急行。翌朝、蒙古軍の攻撃を受け、激戦の末に戦死した。彼の亡骸は対馬市厳原町小茂田に「御首塚」として祀られている。助国はその後、地元の神社で祭られ、毎年の祭りでその功績が偲ばれている。明治29年(1896年)には従三位が追贈された。

更新
主な祖先

敏達天皇

20親等祖先

中臣鎌足

18親等祖先

阿倍比羅夫

18親等祖先

藤原真楯

15親等祖先

藤原房前

16親等祖先

藤原冬嗣

13親等祖先

橘諸兄

18親等祖先

光仁天皇

15親等祖先

宗助国の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史

主な子孫

佐竹義理

18親等子孫

相馬誠胤

18親等子孫

醍醐忠敬

17親等子孫

相馬益胤

16親等子孫

大炊御門家信

16親等子孫

鶴殿家勝

18親等子孫

宗義功

15親等子孫

佐竹義堯

17親等子孫