幕末・明治期の公家・官吏で、官位は従三位・右近衛権中将。安政3年(1856年)に叙爵され、明治2年(1869年)には右近衛権中将、同年に従三位に叙せられた。しかし、明治17年(1884年)に大炊御門家を廃嫡される。理由は祇園での放蕩と借財問題とされるが、公式には病気とされる。廃嫡後、山岡鉄舟に剣術を学び、その後警視庁に採用され、京橋警察署の外勤警部となる。警察では最も位階が高かった。森有礼の担当警護官でもあり、暗殺後に責任を取って辞任したと推測される。大正4年(1915年)の大正天皇の即位の大礼で典儀官に任じられた。











