江戸時代中期の公卿である。寛延元年(1748年)に叙爵し、清華家当主として速やかに昇進を遂げる。宝暦6年(1756年)には従三位に達し公卿となり、以後も権中納言・権大納言を歴任。天明元年(1781年)には右近衛大将に就任するが、翌年には辞職し、皇太后宮権大夫を務める。天明7年(1787年)に内大臣に任じられ、寛政元年(1789年)には従一位を授与される。寛政4年(1793年)と寛政8年(1796年)に内大臣および右大臣を歴任するも、いずれも短期間で辞職している。四天皇に仕えた公卿としてその名を残す。












