江戸時代前期の公卿である大炊御門経孝は、兄の頼国が猪熊事件で配流されたため大炊御門家を相続した。慶長19年(1614年)に叙爵され、寛永8年(1631年)に従三位となり公卿に列する。その後、権中納言や右近衛大将などの要職を歴任し、明暦2年(1656年)に内大臣に就任した。寛文3年(1663年)には右大臣となり、寛文10年(1670年)に従一位・左大臣に昇進したが、翌年に職を辞した。後光福寺と号し、後水尾天皇から霊元天皇までの4代にわたり仕えた。
主な祖先
大炊御門経孝の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
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