戦国時代の大名である武田元光は、永正16年(1519年)に父の出家に伴い若狭守護を継承した。永正18年(1521年)、細川高国に従い上洛し、若狭の領国支配を固めるため後瀬山城を築いた。大永4年(1524年)には再び上洛、大永6年(1526年)には細川高国を支援し足利義晴の援軍要請に応じる。しかし、大永7年(1527年)の桂川原の戦いで敗北し、将軍と共に近江国に逃亡。享禄3年(1530年)に出家し、宗勝と号したが、若狭の支配は安定せず、本国を疲弊させた。和歌にも優れ、三条西実隆との交流が記録されている。天文20年(1551年)に死去し、後に従三位を追贈された。墓所は福井県小浜市の発心寺にある。
主な祖先
武田元光の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















