戦国時代の公卿である久我通堅は、天文11年(1542年)に叙爵され侍従となる。その後、備前権介や左近衛中将などを経て、弘治2年(1556年)には源氏長者となる。永禄3年(1560年)には正二位に昇進するも、勅勘を受けて降格され、再び勅勘を受けて解官された。父・晴通の赦免の努力もむなしく、元亀元年(1570年)に自ら京都に潜入し誠仁親王に助けを求めるが、天皇の怒りは収まらなかった。元亀4年(1573年)、足利義昭の追放に伴い、父と共に京都を去る。同年、堺で35歳にて薨去。
主な祖先
久我通堅の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
養父
配偶者
主な子孫





















