江戸時代前期から中期にかけての公卿で、従三位・権中納言に任じられた。明暦3年(1657年)に従四位に叙爵し、寛文2年(1662年)に元服。寛文6年(1666年)には19歳で権中納言に昇進する。しかし、寛文10年(1670年)に男色問題で高倉兵部少輔を殺害し、権中納言を罷免される。延宝元年(1673年)に出家し、療養生活に入るが、77歳まで生存した。出家後も子供をもうけ、次男の堀川広益は幕府に仕えた。後に、長男の孫が久我家を継いでいる。出家の理由は病気とされるが、一部の史料では他の事情も示唆されている。
主な祖先
久我通名の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















