戦国時代の女性。関白・近衛尚通の正室で、徳大寺実淳の娘。1497年に婚儀を行い、正室として迎えられる。翌年から2男5女をもうけるが、最初の関白任期後に婚儀が行われたため、北政所としては扱われなかった。1513年に尚通が再び関白になると北政所とされ、同年従三位に叙される。公的な場に夫や息子の代理で出席することがあり、1536年には関白就任を控えた息子・稙家の代理として興福寺を訪問。将軍足利義晴の正室・慶寿院の後見役も務め、幕政にも影響を与えたとされる。1566年に86歳で没した。
主な祖先
徳大寺維子の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫





















