戦国時代の僧であり連歌師でもある義俊は、大覚寺の門跡として知られる。義俊は永正13年(1516年)に得度し、大覚寺門主・性守の付弟となり、享禄2年(1529年)に大覚寺門跡に就任した。幕府と大名間の取次を担い、足利義晴やその次代の義輝期の幕政を支えた。特に、越前の朝倉氏や本願寺に対する交渉を行い、将軍の外戚として幕府内部でも影響力を発揮した。晩年には嵯峨北山に称念寺を営んだ。義俊はまた和歌や連歌を愛し、紫式部の『源氏物語』を愛読した。連歌会を頻繁に催し、その中で多くの著名な連歌師と交流した。永禄10年(1567年)に越前国敦賀で没した。











