安土桃山時代から江戸時代前期の武士で、加藤清正の家臣として活躍。もとは鹿苑寺の住職であったが、武芸を好み還俗して下津俸庵と名乗る。肥後国熊本城主の加藤清正に仕え、3,000石を与えられた。江戸時代初期の加藤家の御家騒動「牛方馬方騒動」は俸庵が幕府に訴え出たことで明るみに出た。熊本城の北大手門に続く坂の下に屋敷を構え、この坂は俸庵坂と呼ばれる。寛永8年(1631年)に62歳で死去。長男は細川氏に仕え、次男と三男は朝廷に出仕した。娘は織田信良の正室となった。
主な祖先
下津俸庵の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











