江戸時代中期の高家旗本。正徳5年(1715年)に生まれ、享保14年(1729年)に徳川吉宗に初めて拝謁し、表高家に列する。延享4年(1747年)には父の務を見習い、従五位下侍従・土佐守に叙任され、寛延元年(1748年)に高家に列する。寛延3年(1750年)には父の死に伴い家督を継ぎ、寛延4年(1751年)には吉宗の死後の儀式で京に赴く。宝暦8年(1758年)には後の後桃園天皇の生誕を祝う使いとして京に赴き、従四位下に昇進。明和4年(1767年)には肝煎となり、安永5年(1776年)に62歳で死去する。家督は養子の資倍が継いだ。











