戦国時代の武将であった三好宗渭は、三好氏一族の宗家の家臣であり、三好三人衆の一人とされる。父・三好政長から家督を譲られるが、実権は父が握っていた。天文17年(1548年)、三好長慶が反乱を起こすと、標的にされ居城の摂津榎並城を包囲される。永禄元年(1558年)、長慶の家臣となり勢力拡大に貢献。永禄8年(1565年)、出家して釣竿斎宗渭と名乗り、足利義輝を襲撃し殺害する永禄の変を起こす。のちに松永久秀と対立し、畿内の主導権をめぐる争いに巻き込まれる。最終的に織田信長と敵対し、元亀年間の兵乱で宗渭の動向は不明となる。死去時期は不明だが、永禄12年(1569年)に阿波で死去したとする説がある。ルイス・フロイスの『日本史』では下野殿と呼ばれ、キリスト教布教への斡旋も行った。









