山城淀藩の第2代藩主であり、伊勢亀山藩石川家の5代目でもあった。延宝元年(1674年)に元服し、元禄元年(1688年)には中奥小姓となる。元禄4年(1691年)、狭山藩主・北条氏治の娘を正室に迎え、元禄6年(1694年)には従五位下・越前守に叙任された。長兄とその長男の早世により、宝永2年(1705年)に嗣子となり、翌年に家督を継いだ。宝永5年(1708年)の大火の際には仙洞御所の処理と護衛を担当した。また、徳川綱吉の葬儀に関連する事件で加賀大聖寺新田藩主・前田利昌を預かり、切腹を命じた。52歳で死去し、養嗣子の総慶が家督を継いだ。









