江戸時代前期の旗本であった本多正之は、配所の出羽国横手で生まれる。寛永7年(1630年)に生まれたが、同年に父・正勝が死去。その後、尾張藩付家老の成瀬正虎のもとに引き取られた。寛文4年(1664年)に赦免され、徳川家綱に拝謁し、蔵米2000俵を与えられた。延宝3年(1675年)には使番となり、法皇御所と女院御所の造営奉行を務め、成功を収めた。延宝7年(1679年)には駿府城の定番に任じられ、知行1000石を加増される。元禄元年(1688年)に駿府で死去し、享年59であった。牛込の浄泉寺に葬られる。養子を含め三男三女がいた。


