江戸時代の旗本で、官位は従五位下、筑後守。島原の乱で戦死した板倉重昌の次男として生まれる。寛永16年(1639年)、兄から山城国や三河国などで5000石を分与される。千葉市の天台宗坂尾山栄福寺の境内にあった栄福寺館が彼の屋敷だった。万治2年(1659年)、書院番頭に任じられ、従五位下、筑後守に叙任。寛文元年(1661年)から御側に任じられる。寛文4年(1664年)、葛飾郡で3000石を加増され、計8000石を領する。延宝4年(1676年)に職を辞し、天和3年(1683年)に致仕。貞享元年(1684年)に68歳で死去。養子には兄の三男重種、その後高木正盛の三男重行を迎え、家督を継がせた。











