安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活動した公卿であり、正二位・権大納言に任じられた。天正13年(1585年)には叙爵し、山科家を一時相続するも、兄の出奔により実家の四辻家に戻り名を季継に改める。その後、文禄3年(1594年)には正式に四辻家の当主となる。元和5年(1619年)、妹が天皇の皇子と皇女を産んだことが原因で兄弟と共に豊後国に配流されるが、翌年に大赦で復帰。晩年には権大納言の地位に就き、寛永16年(1639年)に59歳で薨去。彼の生涯は複雑な家系問題と幕府との関係に大きく影響を受けた。











