安土桃山時代の武将である城井朝房は、豊前国の戦国大名城井鎮房の子として誕生。初めは大友氏に属していたが、耳川の戦いで大友氏が衰退すると島津氏に従った。天正14年(1586年)、島津方として岩屋城攻めに参加。翌年の豊臣秀吉による九州平定では豊臣軍に転じ、岩石城攻めで活躍。戦後、秀吉の加増転封に反発し、豊前に固執したため黒田孝高・長政父子と争う。和睦成立後、肥後国人一揆の鎮圧に向かうが、その間に父親が謀殺され、城井谷城も陥落。天正16年(1588年)、肥後で孝高の刺客により暗殺される。享年27。死後、加藤清正がその霊を宇都宮神社に祀った。










