伊予吉田藩の3代藩主である。元禄6年(1693年)、従兄の伊達宗保の養子となり、12歳で藩主に就任。5代将軍・徳川綱吉に御目見し、父の遺品である刀を献上した。元禄14年(1701年)、霊元上皇の院使の饗応役を務め、同じく饗応役であった浅野長矩の刃傷事件にも居合わせた。享保17年(1732年)の享保の大飢饉では、吉田藩も大きな被害を受けたが、年貢を免除し備蓄米を放出するなどの対策を講じ、餓死者を出さずに乗り切った。村豊の治世は44年に及び、その記録は「藤蔓延年譜」で見られる。元文2年(1737年)に江戸藩邸で死去し、墓は東京都港区高輪の東禅寺にある。











