戦国時代から安土桃山時代にかけて活動した武将で大名。兄・三好元長の命で、享禄5年(1532年)に京都で柳本賢治の遺子を討ち、その後、兄と細川晴元が対立する原因となる。兄の死後、甥・三好長慶に仕え、長慶の弟で阿波国主である三好実休を支える。永禄元年(1558年)には、長慶が室町幕府の足利義輝と対峙した際、阿波勢の先鋒として参加。永禄5年(1562年)には久米田の戦いで活躍するが、実休は戦死。織田信長が足利義昭を擁立すると、抵抗を続けるも、最終的に信長に降伏。信長の重用を受け、本願寺との和睦交渉や四国攻略に関与。晩年は羽柴秀吉と接近し、甥の豊臣秀次を養子として迎える。没年不明。









