室町時代後期から戦国時代にかけて活動した武将である。三好之長の子として生まれ、阿波の国人・芥川氏の養子となった。永正17年(1520年)、細川高国や六角定頼との戦闘で敗北し、父や兄と共に曇華院に潜伏するも、まもなく発見され投降した。生命の保証を条件に降伏したが、父と従兄弟は処刑され、自身も兄と共に切腹を命じられた。享年不詳だが壮年とされる。死後、芥川孫十郎という人物が活動しているが、長則の子であるかどうかは定かではない。孫十郎については、別の説で摂津芥川氏の当主である芥河常清の子とされることもある。











