戦国時代の武将で、摂津国の芥川山城の城主として知られる。享禄4年(1530年)から天文8年(1539年)にかけて活動が確認される芥河常清の子である可能性がある。天文15年(1546年)、細川氏綱と遊佐長教の反乱により芥川山城を奪われるが、翌年に三好長慶と細川晴元の反撃で城を取り戻す。天文17年(1548年)、長慶と共に細川晴元に対抗し、江口の戦いで勝利に貢献。天文21年(1552年)、長慶から離反し池田長正と共に再び長慶に帰参するも、翌年晴元と足利義藤に呼応して反逆。長慶に包囲され降伏し、阿波国へ退避した後は消息不明となる。









