奈良時代の貴族である大伴益立は、淳仁朝で蝦夷征討に従事し、天平宝字4年(760年)に雄勝城と桃生柵の築城が評価され従五位下に叙された。天平宝字5年(761年)には陸奥鎮守副将軍に任命され、神護景雲元年(767年)には伊治城築城の功績で正五位上となる。宝亀11年(780年)、伊治呰麻呂の乱鎮圧のため征東副使に任命されるが、進軍せず譴責を受け翌年に位階を下げられた。延暦2年(783年)に再び兵部大輔に就任するが、その後の消息は不明となる。承和4年(837年)、子の訴えで冤罪が認められ、従四位下が追贈された。




