飛鳥時代の豪族であり、中臣鎌足の母方の祖父。用明天皇2年(587年)の丁未の乱に参加し、物部守屋討伐に加わる。崇峻天皇4年(591年)、任那再建のための遠征軍の大将軍に任命され、2万余の軍勢を率いて筑紫に進軍。しかし、崇峻天皇5年(592年)の崇峻天皇暗殺により遠征は中止となる。推古天皇9年(601年)には高句麗への外交使節として活動し、推古天皇16年(608年)には隋使・裴世清の国書上奏を担当。推古天皇18年(610年)、新羅・任那の使人対応で四大夫の一人として活躍。冠位は大徳に昇る。軍事や外交での活動が目立つ。












