江戸時代前期の近江国彦根藩の世嗣で、従四位下・侍従、靱負佐の官位を持つ。江戸城下で育ち、幼少期から2代将軍徳川秀忠・家光父子に寵愛され、幕臣筆頭の家柄の嫡男として育った。性格は我が強く、質素倹約を旨とした父としばしば対立した。家光から「直滋が家を継いだら百万石をやる」と言われたと伝わるが、この言葉が父を激怒させた。寛永4年(1627年)に叙任し、父に代わって領地の国政を沙汰することもあったが、万治元年(1658年)に廃嫡され、出家して湖東三山の一つ百済寺に遁世した。寛文元年(1661年)に死去し、享年50。

