江戸時代前期の大名であり老中を務めた。下野烏山藩主、武蔵岩槻藩主、信濃坂木藩主を歴任。養子として叔父の元にいたが、兄たちの不運により家督を相続。延宝5年(1677年)に奏者番兼寺社奉行に任命され、家綱の死去に伴い綱吉により老中に抜擢。天和元年(1681年)に1万石加増され岩槻に転封。老中として活動したが、綱吉の世嗣問題で徳川光圀と対立し、後継者問題もあり老中を免職される。天和2年(1682年)に1万石減封され坂木に転封。隠居後、領地は分割され、重寛と重宣に分知。宝永2年(1705年)、65歳で死去。坂木は再び幕府領となる。











