江戸時代前期の旗本である瀬名弌明は、幼少期に徳川家綱に謁見し、延宝2年(1674年)に家督を継いで小普請組に入る。延宝4年(1676年)には大番組に列し、元禄4年(1692年)に一度番を辞した後、元禄8年(1695年)に再び大番に就任。元禄10年(1697年)には下総国匝瑳郡・香取郡に知行地を得る。元禄13年(1700年)には大坂城で鉄砲奉行を務め、正徳元年(1711年)に辞職。享保17年(1732年)に致仕し、養子の俊光に家督を譲った。寛保3年(1743年)に85歳で没し、四谷の妙行寺に葬られ、以後同寺が瀬名家の代々の葬地となる。実子は娘3人で、婿養子を迎えて家を継がせた。
主な祖先
瀬名弌明の家系図・略歴 | 系譜で辿る日本史
主な子孫











