畠山総州家5代当主。<br>
父・義堯は家臣・木沢長政の居城・飯盛山城を攻めたが、支援に訪れた一向一揆の攻撃により自刃した。在氏はそれから間もなく木沢長政によって当主に擁立される。天文10年(1541年)に長政が細川晴元に反旗を翻すと、在氏は積極的には加担せず飯盛山城に拠った。長政は幕府軍の追討で戦死し(太平寺の戦い)、更に和睦交渉も不調に終わり、天文12年(1543年)1月に飯盛山城は攻め落とされた。<br>
のちに晴元政権に帰参するも、三好長慶らの軍勢に敗北し没落。以降、畠山氏が河内守護に返り咲くことはなかった。











