系譜で辿る日本史

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久我建通こがたけみち

久我建通

久我家34代当主

氏族藤原北家御堂流一条家
生没1815年 - 1903年
位階従一位
官職 内大臣
幕府職

江戸時代後期の公卿である。文政5年(1822年)に叙爵し、以後従三位、正二位、大納言と昇進。安政元年(1854年)に議奏となり、朝幕間の調停に尽力。条約勅許問題や和宮降嫁問題に関与し、「権関白」と呼ばれるほどの影響力を持った。安政5年(1858年)に右近衛大将、文久2年(1862年)に内大臣・国事御用掛を務めたが、攘夷派に弾劾され失脚。明治元年(1868年)に赦免され、宮内省麝香間祗候などを務めた。明治22年(1889年)に従一位・勲一等に叙される。明治期の廷臣八十八卿列参事件では自身が中心的役割を果たしたと述べている。

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主な祖先

冷泉為相

15親等祖先

近衛家基

19親等祖先

細川忠興

8親等祖先

藤原定家

17親等祖先

九条良経

19親等祖先

吉田兼倶

12親等祖先

久我通雄

18親等祖先

西園寺公顕

18親等祖先

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