南北朝時代の公卿である近衛経家は、初め北朝に仕えたが、父の影響で南朝へ移った。正平元年(1346年)に元服し、右近衛権少将に任じられたが、その後の北朝での昇進はなく、正平8年(1353年)には南朝へ移り、関白を務めた。正平19年(1364年)後村上天皇に書物を進呈した記録がある。晩年は南朝での官職に身を置いた可能性が高いが、その後の動向は不明。元中6年(1389年)に死去したとされるが、これにも検討の余地がある。歌作としては『菟玖波集』に連歌1句が残っている。子孫については明確な記録がないが、南北朝合一時の南朝の関白が経家の子とされる。











