平安時代前期の公卿であり、昇進が非常に速かったことが特徴的。嵯峨天皇の皇后・嘉智子の弟として、弘仁元年(810年)に昇殿し、左衛門大尉や蔵人を経て昇進を重ねる。淳和天皇の即位後、嘉智子の子である正良親王が春宮となると正四位下に叙され、その後も刑部卿や宮内卿といった重要な役職を歴任。仁明天皇の外戚としても順調に昇進し、承和9年(842年)には大納言、承和11年(844年)には右大臣に任命される。しかし病気のため政治から離れ、承和14年(847年)に65歳で薨去。死後、従一位が贈られた。嘉智子の影響力が彼の昇進に寄与したとされる。









