江戸時代後期の大名である脇坂安斐は、龍野藩の10代藩主として知られる。安政5年(1858年)、藩主脇坂安宅の養子となり、文久2年(1862年)に家督を継承。譜代大名の立場から佐幕派として活動し、摂津国の海防警備を担当した。元治元年(1864年)と慶応2年(1866年)の長州征討に参加するも、消極的な姿勢を見せ、第2次長州征討では病気を理由に出兵を辞退。戊辰戦争では新政府軍に恭順し、姫路藩攻撃や会津戦争に加わった。明治2年(1869年)の版籍奉還で龍野藩知事に任じられ、藩の改革に努めたが、明治4年(1871年)の廃藩置県で免職。明治17年(1884年)、子爵に叙され、明治41年(1908年)に70歳で死去した。


