貞享元年(1684年)、津藩騎将藤堂高明の次男として生まれる。正徳2年(1712年)、6代将軍徳川家宣の死去時に弔問の使者として江戸に遣わされる。宝永8年(1723年)、父の隠居に伴い、知行7000石と藤堂出雲家の家督を相続、騎将となる。享保12年(1727年)に44歳で死去。家督は三男の高豊が継ぎ、藤堂出雲家の第5代となる。次女見好は尾張藩主徳川宗春の寵臣星野織部に嫁ぐが、織部の失脚により離縁。四男高文は漢学者として知られる。その他の子供たちも藤堂家の各支流を継ぐなど、多くの子孫が文武に秀でた人物として活躍した。







